たまに仕事で麹町へ行くことがありますが、よし!パワーをつけようと思ったときに行くのが、この鰻屋さん。
店内の雰囲気も良くて、落ち着きます。
たまに仕事で麹町へ行くことがありますが、よし!パワーをつけようと思ったときに行くのが、この鰻屋さん。
店内の雰囲気も良くて、落ち着きます。
富山県立大学の平野先生に連れて行って頂きました。
素材を活かした味が美味しかった!
毎年、富山で美味しいお店を紹介いただけて、嬉しく、ありがとうございます!
昨日、いつもいく鍼灸の先生の治療院の途中にある前から気になっていた大森 丸一(トンカツ)行ってみた!
翌日から食事制限をするので、超暑いけど、30分並んだよw
久しぶりに美味しいトンカツ頂いた。
ここが正面。僕がお店を出た時には1人しか並んでなかった。ピークに並んだのかな。
お店の皆さんが感じが良い!いい雰囲気!
これで普通サイズなのよ。
お肉もとても柔らかくて、美味しい!
油がいいのか、食べたあと、もたれなかった。
豚汁も美味しかった。ご飯も釜で炊くので美味しい!
メニューはこちら
エビフライをつけるトッピングもありだ!
先日、仕事中のある出来事
その日、とあるところに予約を入れており、その時間に合わせて準備をしていた
すると突然、ゆうちゃんが焦って「あれっ‼︎ 予約時間、間違えているかもしれない。。。手が離せないから確認してくれる?!」と僕に言った。
ゆうちゃんの突然の言葉に、頭が真っ白になりながらも連絡を入れた結果、予約時間を30分違えていたことが発覚!僕は先方にお詫びをして、変更しようとしたが…電話はかろうじてかけられたものの、頭の中は真っ白のまま…
何をどうするか分からなくなって、結局ゆうちゃんが調整してくれた。
僕は1つのことに集中すると切り替えが難しい。そして昔から、並行して何かをやることができない、
相手のペースで何かをやるのが苦手。リズム感もとれない。
例えば、
・右手で3拍子、左手で2拍子をとる(全くできない)
・山手線ゲーム(ペースに合わせられない)
パニクる自分を自分が怖れているため必要以上に前もって確認する。
例えば、海外へ行く場合、前もって、トランジットする時の手続きや移動ルートをネットで情報を入手、確認する。
だがしかし、実際、現地では想定外のことは普通に起こる。
結局、真っ白になる。
そうすると「確認したのになんだよー‼︎‼︎」と自分に怒る→そんな自分がイヤになる→さらに気をつける→何度も確認しだす。。。この無意識のループをグルグルしていたことが発覚した!
その根底には、すぐ真っ白になったり、パニクることを自分が思っている以上に怖れおり、
そんな自分はダメだと思っていた。そんな自分にならないように一生懸命がんばっていた。
その上、一昨日は先方に悪い事しちゃったから、菓子折りをもって行こうとかしちゃう。
罪悪感からくる補償行為をしようとしたりして‼︎
怖い!!!怖れの連鎖。
このことに関連して、ゆうちゃんが前者と後者の話をしてくれた。
■【永久保存版・全体概要】前者・後者は世界を救う?! 前者後者ってなんだ? | 心屋仁之助オフィシャルブログ「心が風に、なる」Powered by Ameba
こちらのブログにこう書いてあった。人間には大きく2つのタイプ(前者と後者)があるそうだ。
***************************
・前者は、空気が読め、理解、理論、表現、処理能力が比較的高い マルチタイプ
・後者は、天然、癒し系、言葉をストレートに受ける 集中タイプ
自分が前者か後者かを判断する基準は1つだけ
人の話を聞いてて、頭がシャットダウン(真っ白)になるか?
・怒られたり失敗したり、あせったときにすぐにパニック(混乱)になる
・難しい話や、まくしたてられると心の中にシャッターが下りて「しまう」
・思考がすぐにどこかに飛んで行って「しまう」
・説明を受けたり怒られている最中に、うわの空で他のことを考えて「しまう」
この質問の例にひとつでも「イエス」があれば、後者。NO! ならば前者、という判断です。
***************************
ひとつどころでない、全部当てはまるわ。。。はい、僕、後者です!
ゆうちゃんはこの前者と後者の話を思い出し、より深く僕のことを理解できたと言い、大事なことは、このパニクっちゃう自分を許すことだと教えてくれた。
確かに、思考停止する自分、パニクっちゃう自分はダメだと思い込み、そうならないように、ならないように、ならないように、がんばり続けてた自分。
特に社会に出てからは、できるビジネスマンになろうとして。
ゆうちゃん曰く、
「パニクっちゃう自分を許すこと。許すと愛の状態になる。そして次の行動を起こすと結果が変わる。行動のベースが愛なのか、怖れなのかで結果は全く違ってくる。」
確かに、僕の菓子折り案は、愛からの行動ではなかった。
パニくる自分にダメ出しして、その罪悪感を隠すための行動となっていた。
前者・後者の僕は話を聞いて、ゆうちゃんに許された感覚になり、自分自身も許す事ができて楽になった。
これからはパニクる自分を受け入れ許していこうと思う。
そして愛を起点とした行動に変えていこう。
LOVE♡
人から自由そうに見える僕
でも
全く自由でない自分が隠れてた
そんな自分と50年ぶりに繋がれた
昨夜は夫婦で銀座へ、夕食の予約をしました。
そのお店から徒歩数分のところにいた僕は、今から行きますと店員に告げた。
そしてお店に向かう途中、ゆうちゃんが明日食べるパンを買おうかなーと言いだした。
お店には今から行くと言ったのに、一瞬、僕は【イラっ】とした。
そしてその感情はすぐになかったことにした。
無意識に自分の感情を隠し、気を取り直しパン屋さんに付き合う。
買い物を済まし、お店に向かう途中も到着してからもゆうちゃんと僕のエネルギー状態について対話が続いた。
ゆうちゃんは「ちゃんとしなさーい!というエネルギーで窮屈い」という。
そして、「さっき、イラっとしたんだよね。」とゆうちゃんに話した。
なぜ、【イラっ】としたのか、ゆうちゃんに聞かれたので「遅れることがお店に悪いから」と僕は答えた。ゆうちゃんは「それ、本当なの?」と尋ねた。
僕はその【イラっ】をもう少し感じてみました。
そうしたら、幼少の頃を思い出してきた。
どんな子供だったかというと
・好きなことしかやらない子供
・強制されることがやりたくない子供
・落ち着きがなくて、鼻垂れ、シャツがズボンから変に出ていたり、だらしない子供
(親戚のおばさんや近所のおばさんの噂を母親から聞かされていた)
しかし、小学校に上がると、宿題をやらないといけない。興味ない授業や行事をやらないといけない。勉強ができないといけない。運動ができないといけないムードになり、巻き込まれていってしまった。小学校時代にやりなくない自分、だらしない自分を完全に押し殺してしまった記憶がある。中学生・高校生・大学生・社会人になるにつれ、ちゃんとしなければいけない観念が定着され、自分の副人格が生まれた。その副人格はロボットのようなもので心がない。
心の無いプログラミングされたロボットができてしまった原因は心の深いところの【怖れ】につながる。
やりたくない自分・だらしない自分はダメだと思ってきていた。こんな自分がでちゃったら、社会に、受け入れられない、嫌われちゃうという【怖れ】だ。母親からも「ちゃんとしなさい!」とよく叱られた。これも母親に愛されないという【怖れ】もある。
【怖れ】は自己否定につながる。エネルギーもちっちゃくなる。実は自由ではない。
僕は【イラっ】っとするのはお店に悪いからとかと思っていたが、本当は自分を自分で律しているから【イラっ】っとすることに気づいた。【イラっ】を隠して、大した問題でないからと言い聞かせ、気を取り戻すために笑顔(ウソの)を作るクセもある。そして、この【イラっ】は関係性の強いゆうちゃんだけにでる。ゆうちゃん以外の人には即座に副人格ロボットが作動し【イラっ】は顔出さない。
【イラっ】の叫びは小さい何にもやりたくない子供の自分の声なのです。
長い間、無理やり社会に合わせてやりたくないこともやってきて、その子はもう勘弁してくれ!いい加減にしてくれよ!嫌なことを押し付けてないでよ!とその子は怒っている。でも、力まかせで、その子に言うことを聞かせる感じで生きてきた。
厄介なのは、今回のように日常でゆうちゃんの違和感をに問われたら、大した問題でなし、今、深く感じることもやらなくてもいいかな。生活に支障はないからねと一旦置いておく自分がいる。
さらに突っ込まれると、副人格のロボットくんが動き出し、ああだこうだい最もらしいことを言って、何にもやりたくない子供の自分の感情を感じさせないように抵抗をする。
わがままな人やだらしない人を見ると【イラっ】とすることがある。
それは自分の中のわがままを許さない。だらしない自分を許していないからだ。他者を投影して、自分を見ている。まさに自己否定だ。
もっと、この【イラっ】を感じていきたい。
小さい何にもやりたくない子供の自分ともっとつながりたい。
副人格のロボットくんにも「今まで僕を守ってくれて、ありがとう!」とお礼を言いたい。
小さい何にもやりたくない子供がもっと僕が自由になる鍵を握っている。
もう、今はだらしない自分を許そうと思う。
無理に何かをやらなくてもいいと思う。
僕はもっと自由になると決めた!