自由業について考えること

久しぶりにブログを書きます。(このところずっと活動し続けて、ブログに時間をさけませんでした。)

昨日、羽田から福岡へ向かう飛行機にのったら、周りの人がほとんどスーツで僕と数名だけラフな格好(ド派手な色の洋服は僕だけ)に気づき、これをかきはじめました。

そういえば、昔(会社員時代)自由業に憧れていました。自由にやりたいことをやって、生活できるなんて楽でいいなと。。。宝くじがあたったらとか将来の貯蓄でそうなりたいなと。。。

この発想やこの状態で思っていても、単なるファンタジー(実現しない夢)だということは今ならわかります。

僕の場合は

1)ベンチャーとの出会い(IBMでITベンチャービジネス開発)がキッカケに徐々に自分と向き合いはじめた。(1999年 37才のとき)
2)少しづつ自分の欲求をつかみ、行動に起こした。こんなことをやっても意味あるのかと葛藤もあった。
3)パートナーと出会いをきっかけに、さらに自分と向き合った。
4)会社のリストラをきっかけに自分らしく生きる覚悟(独立)を決めた。本当になにをやりたいのか葛藤があった。(2010年 48才のとき)
5)本当にやりたいことのコトバ化と発信をしはじめた。

f:id:katchamans:20131208124332j:plain


いまはとても充実していて、楽しい人生を毎日過ごしています。

しかし、この流れを計画したり、計算したりして、そうなったんではないところがおもしろいところです。原体験、そして純度が高い欲求からスタートして、行動、葛藤、だれのため、なんのためのコトバ化(自分の心にしっくりくる)のプロセスが自分のエネルギーを高めてきました。歓びと充実感も高まってきています。人と関わって、自分と向き合うことを少しずつ楽しめるようになってきました。

人生にはいろんな選択がありますが、

もし、真剣にIBMでITベンチャービジネス開発の仕事をやらなかったら
もし、自分と向き合わずに葛藤を感じなかったら
もし、欲求のまま行動におこさなかったら
もし、独立せずに転職したら
もし、本当にやりたいことの言語化と発信をしていなかったら

いまの僕はないと思います。そして、そのおかれているときに一生懸命になることが実を結ぶ感覚があります。今、目の前にも将来のチャンスがある感じです。一生懸命になったらそのチャンスを(気づかずに)得るのかもしれません。

昨日、福岡県のイベント「大忘年会」のパネルディスカッションで十ヶ月勤務後退職された24才の男性が今の時代にチャンスは感じられないというような質問がありました。僕はその期間、本当に一生懸命やりきったのなら、次のチャンスを得ることはできるのかなと、単にその会社、人が合わない、会社というメカニズムは合わないという理由とか、にげるエネルギーだとしたら、次の会社の転職や独立しても、同じ現象を引き起こすと感じます。(僕は長い間、会社勤めをして、社会では人はどう動くか、どうコミュニュケーションをしたら伝わるか、理不尽な世界もあるんだななどと体験しないと理解できないこともいっぱいあり、学びました)その彼は数ヶ月でなにを学んだのか?もう少し話したかったな。。。彼の大勢の前で自分の考えをシェアする勇気とこのイベントの参加を選択したことを讃えます!

いまを生きる!今でしょ!の意味合いは深いです。今を生きる意識を高めることが自分を完成させる近道のような気がしています。

僕は自由業なのか?

いや、そうでないと、、、
いや、そうかもしれない、、、

いや、そんなことどうでもいい!

「僕は僕なので」と思っている自分がいます。