神田きくかわ 2022年2月(東京都千代田区神田須田町)〜この地、いいところ

かなり昔に母に教えてもらったこの鰻屋さん。

先日、久しぶりに行った。

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このところ元気がない。

自分の中核的な課題と直面しているからだ。

元気がないときは鰻はいいと昔から思い込んでる。

確かになんとなく、少し元気になってきた。

本当にありがたい。

家族を思い出し、食べられる束の間の倖せを味わった。

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katchamanお話会2022年

昨年から、様々な場でお話をさせて頂きました内容(多くなるので一部はカット)を書かせて頂きます。都度、アップデートしたいと思っています。

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(ここからスタートです)

皆さんは日々忙しい時間を過ごしていると思いますが
今日は立ち止まって、【自分と対話する時間】にしていただけたら嬉しいです。
人生を振り返ったり、自分の居心地を感じたりするのもよいかもしれません。

はじめに僕の体験の話と今思っていることの分かち合いをしたいと思います。
その後、感想の分かち合いや質疑応答の時間を作り、自分との対話をとおして皆さんと対話をしていきたいと思います。

その前に僕は何者かについて、少し触れたいと思います。

今年還暦になります。25年間会社員をして働きました。
今まで大きな転機は3つありました。
1)37歳の時にスタートアップと出会ったこと
2)40歳半ばで心の師と出会ったこと
3)48歳の時にリストラになったこと。当時を振り返ると財産はほとんどなく、やりたい仕事もなく。。そこから想定外の人生と変わっていきました。

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今は資料のとおり、会社の社外取締役/顧問、自治体のお仕事、大学で講義、画家などやっています。どの仕事もその役職や職業を目指したのではなく、結果的になっているという感じです。ここ数年は夫婦で活動することも多くなりました。
自分が大切にしたいことを具体的な活動をとおして創造し、広げていくことが僕の仕事の捉え方です。大切にしたいこととは目には見えないことです。言葉でいうと愛とかつながりとか。もう少しわかりやすくいうと心が歓ぶこと。心があったかくなることです。

さて、僕の分かち合いに入りたいと思います。
まずはじめに皆さんにお伝えしたいことがあります。
それは【皆さん一人ひとり、唯一無二で「想像を超えた」存在であること。そこには優劣が存在しない。】ということです。僕はそうだと確信しています。

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そこを掘る前に、皆さんにお聞きしたいことがあります。

皆さんの行動の源泉はなんですか?

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源泉はわかりやすくいうと欲求です。
認められたい、何か(例えばお金、地位。名誉とか)を手に入れたい、カッコよくなりたい、人に喜んでもらいたい、、、いろいろあるかと思います。

僕は行動の源泉を二つの切り口があると考えています。

1)思考中心
  自分なりの正解を探し行動する。現実化するのでわかりやすい世界。
2)本質中心
  心に従い行動する。目に見えなくて感じる世界。

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思考中心が【他人軸】、本質中心が【自分軸】と僕は名付けています。

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他人軸は与えられた環境(例えば、会社や学校)で自分がもとめられるようになったり、自分が優位に立ち、その環境で生き残れるための正解を探し行動することです。がんばると技術も磨かれ、できるようになることが増えていき、多くの人がある程度の自己実現します。事業の場合も同様に市場からもとめられるようになったり、他社よりも優位に立ち、市場で生き残るための正解を探し活動することです。他人軸は現実化するので大事な存在と言えます。

一方、自分軸は感情を伴った一人ひとり違ったピュアな欲求、情熱、好奇心、興味、ワクワクなどが根っこにあり、その人が大切にしている生き方や幸せ感など、まさにあり方、生き方そのものです。

二軸はどちらも大事です。イチロー選手のようなその道で尖った存在の人たちは二軸は育てているように感じています。まれに技術を磨きながら、己と向き合い自分軸をピュアにトコトン育てる人がいます。僕の友人の投資家もそういう人がいます。多くの人がそうなれるかというと難しいと僕は思います。多くの社会人はこの【他人軸】思想にどっぷりと染まってしまいます。僕もかつてそうでした。仕事でできることは増えるのですが、それが本当にやりたいことにつながらない。やりたくないんだけど、生きていくためにやらざるを得ないという諦めの気持ちや惰性の気持ちを無意識にごまかしながら生きようとしていました。僕の体験からすると自分軸は意識的に育てようとしなければ、社会に流されてしまい、自分がなくなっていくように思います。思考(他人軸)だけでは限界があります。思考は情報量と処理能力に限りがあるからです。経済成長していた時代はある程度は正解を見出せ、競争し勝者は物質的な豊かさを得たかと思います。しかし、今はうまく生きる正解などはなく、自分軸と他人軸両方をしっかりと育てていく時代だと僕は日々痛感しています。

自分軸ビンビンの人が語っている様子をみるとわかりやすいです。エネルギーが高い。いい顔になる。目がキラキラしている。結果、同じ世界観の人が集まる。いろんな化学反応が起きる。。。。。無限ループに入ります。

自分軸(目に見えない部分)に意識をすること
そこには創造性の根源がある
体験と感情が入り口である
あらゆるところに日常にチャンスがある

これが二番のお伝えしたいことです。

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しかし、この自分軸を育てることは簡単でないのです。

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その仕組みについてこの図でお話しをしたいと思います。まずは【本質】です。

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僕は本質とは愛そのものであると思っています。イメージしやすい例は生まれたての赤ちゃんです。
僕たち自身がダイアモンドの原石であり、唯一無二のたった一人の自分の存在を輝かせるために生まれてきたのではないかと思う。だから人は皆違うようになっているし、それぞれ違う才能を持っていて出来ることが違う。それがまた個性でありその人の魅力になる。僕のいう愛は、表現が難しいのですが、心があたたかく、優しい気持ちになる大切な何か、ピュアな欲求、好奇心、情熱などです。

そして本質の外側にある【観念や思い込み】とは「無意識につけてしまったフィルター(色めがね)」のようなものです。アンコンシャス・バイアスとも言われています。
そもそも愛そのものでこの世に誕生し、最初は五体満足で生まれたことで喜んでもらえるのですが、自我が芽生えてくると、親にとって良い子でいると喜んでもらえたり、結果が良いと褒められたり、期待に応えると認められたりします。そう言った両親や家庭環境、教育、周りの人の反応により、いつの間にかこの自分は受け入れられて、この自分は受け入れられない、とありのままの自分ではダメだと思うようになってしまうのです。
両親を始め、学校、社会通念、周りの人や環境により知らぬ間に様々な【観念】が少しずつ覆いかぶさったり、他者との比較や競争の世界で生きることにより、何者かになろう、足りない自分を何かで埋めようと頑張ることにより本質の輝きが阻まれるようになっていきます。

そして自分の行動や思考、感情的反応など、そのほとんどは96%が深層心理から起こる自動反応だとも言われています。その自動反応は観念がベースで起こります。
この観念は日常、注意深く観ていると結構いっぱいあります。
観念のわかりやすい表現の一つが、「こうあらねばならない。」です。
親はこうあるべきだ、先生はこうあるべきだ、みんなと仲良くしなければならない・・・いうように。
分かりやすい例えで「ワガママ」ということについて見てみると、誰かの行動に対して「あの人はワガママだ!!」とみる人と別に気にならない人といます。
それは人によってワガママの観念フィルターが違うからだと思います。

また、自分の考える世界では当たり前なので、観念をベースに良し悪しを判断しがちになります。

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そして【思い込み】は自分で勝手にそうだと思い込んでしまうことで、僕自身は日常ありがちです。思い込みのわかりやすい表現の一つが、「〜に違いない。」です。
この場はこうした方がいいんだろうな、きっとこう言われるだろうな、本当はこう思っているんだろうな、こう思っているに違いない。という自分の中での思い込みが前提で、話を聴いていたりしています。つまり、人の話は聴いているけど聴いていないのと同じなのです。(自分で言うのもおかしいですが)だからよくよく聴いてみると全然違った・・・ということがよくあります。
また、過去の体験による、自動反応も思い込みの場合があります。何かを言われた時に反射的に、それは無理っしょ、そんなの出来ない、なども「今ここ」での答えではなく、過去の上手くいかなかった体験がベースとなり自動反応で判断していることもよくあるのではないかと思います。

「観念や思い込み」は目に見えません。だけどそこには透明な壁があり、それにより自分の中でいいように変換されその人の話を本当の意味で聴くことが難しいのです。
注意深く自分をみると、こうあらねばならない、〜べき、〜しなければ、こうでなければならない、これしかない、ありえない、〜に違いない などの言葉を言ったり頭の中で思っていることがあると思います。その時は窮屈な感覚や話す時に相手に自分の考えを押し付ける状態になりがちです。「こうあらねばならない、〜に違いない」と言う自分に気づいたら「ん?!それは本当か?!」と自分を疑うクセをつけるといいと思います。

そして図の外側にある【偽ダイヤ】とは、先ほど本質のところで述べましたが、本来は皆、愛そのものとしてこの世に誕生するがだんだんありのままの自分には価値がないと思い込むようになり、外側の何かによって自分の価値を証明しようとしたり、何者かになろうする。そうやって頑張って手に入れた一見、その人を輝かしく見せるものが外側にある「偽ダイヤ」です。
わかりやすい例で言えば、資格、役職、年収、世間から賞賛される大学・企業など社会的な立場や社会ですごいと言われている人との人脈を持つことなどです。
これは20才後半の頃の僕の話です。中小企業診断士に興味を持っていました。この資格を取って、純粋に中小企業の経営にこのように役に立ちたいとか全くなく、目的はこの資格があれば、今の自分の価値を上げられると思い、また今後のキャリアに何かと有利なのではないかと考えていました。
自分に自信がなかったから、何かすごい武器が欲しくて、まさに偽ダイヤを得ようとしていました。

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同じ頃、早く部長になりたかった。部長になれば自分の価値が上がるからと思っていたからです。しかし、その道は絶たれ、IBMの役職の望みは絶たれました。その代わり、IBM Venture Capital Groupで仕事していた頃、関わっていた人たちにビジネスの世界で有名人が多かったので、この人知っている、この人と仲が良いと自分の価値を高めるかのように社内で無意識にアピールしたこともあります。社外の人には、僕は普通のサラリーマンなんだけど、この人知っている、この人と仲が良いと意外性をつくかたちで自分の価値を高めるかのような話し方もしていたこともあります。そして偽ダイヤはあたかも自分がすごいと錯覚してしまう。
「俺、○○卒だぜ!」「俺、○○社だぜ!」「俺、〇〇さん(有名人)と仲良いんだ!」
「俺、○○車乗っている」etc
もちろん、口に出しては言わないだろう。そんな人はほとんどいないともいます。そんなことを言ったら嫌われるからです。でも、心のどこかにあるとしたら、それは偽ダイヤです。
でももしも、外側の一見輝きを放つ何かを使い、自分の価値を証明することが真実だと思い込んで、そこに一生懸命エネルギーを注いでいたら、本当の自分の欲求にはつながれません。
そして、これさえ手に入れればと、もっともっとあなたを掻き立てることだと思います。
それは本当に苦しいことです。
まさに宮崎駿監督の千と千尋の神かくしに出てくる「顔なし」の世界のようです。
そのもっともっとの世界には、本当に自分が欲しいものはあるのだろうか?
外側の何かは、自分の本質の素晴らしさとは全く関係がなく、ただ生きるツールに過ぎなのではないだろうか。
そして自分が外側の何かに意識が向いていると、無意識で目の前の人の外側(ステータスなど)だけで判断しがちになるように思います。その人の本質に触れることが出来なく同時に自分ともつながれません。それはとても寂しいことだと感じす。

 

冒頭に【皆さん一人ひとり、唯一無二で「想像を超えた」存在であること。】と言いましたが、不要なこうあらねばならないや〜に違いないというような観念や思い込みの世界で生きなくなれば、自分が想像を超えた存在になっていくことを僕は体験を通して確信しています。

僕自身、学生や会社員の頃は、好きなことをやって稼ぐことができない!という観念を持っていましたが、独立してからそれを実現しています。ありがたいことに会社員時代の収入とは比較にならないくらい頂いてます。また、会社員の頃には、自分は大学教授や上場企業の社外取締役のような役職をつくことはないと決めてけていました。しかし、現在、そういった役職に就いています。50歳から画家もやっていて、こちらもありがたいことに収入を得ています。夫婦で仕事もしています。などなど、当時からすれば、想像を超えた状態になっています。

そして、今の僕は次の「想像を超えた」存在に向かい、新たな観念と向き合い、たまに嫌になったりしもがき苦しみながら人生のプロセスを歩んでいます。どこまで生きても観念から全解放されず、玉ねぎの皮のごとく、一枚一枚剥がしながら、本質の自分に近づいている感触があります。

広く捉えて、僕含めて、人はそれぞれの観念や思い込みワールドに生きていて、真実かどうかも分からず生きている勘違い野郎だ!と僕は思っています。

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その勘違いに気づくかどうかで人生は大きく変わるのだと思います。

気づくというのは段階があって

1)その思考を認知する

2)そういう思考をしている自分を受け入れる。腹落ちするという表現もあります。

この状態で初めて本当の意味で気づくと言えます。

イメージはこんな状態です。

・ガーーーーン!今そういう状態なのか、、、

・そういう思考をしているから、かべにぶち当たっているのか。。。マジキツい!

・何もわかってなかった。。。などです。

1)から2)へとは強固な観念ほど、ほとんどの場合すんなりいきません。

自分を責めたり、頭で理解するで止まったり、頭の中でグルグルしたり、それから無意識にその観念をみないようにしたりするからです。

僕の体験から、人にはタイミングがあって、そういうときにジューシーな出来事が起きます。

神様がお前、気付けよ!と言われているかのように。

ジューシーな勘違い的な観念や思い込みが解けたり、偽ダイヤを追い求めることをやめたら自分の本質が輝きだすのです。

 

ここから先は僕の体験談をお話ししたいと思います。

実際のお話会では話をさせて頂きますが、ブログでは長くなるので、時間ができたらいつか追加したいと思います。

最後の自分軸。。。。持っていたつもりだったが、、、を書いたブログは下に貼りますね。

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katchamans.hatenablog.com

 

別な視点で人を木に例えて話をしたいと思います。

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ここでは、幹や枝や葉の部分が「行動(Doing)」で、花や実を「行動した結果や成果(Have)」と例えています。
社会では長年、成果主義が定着しているから、数字に縛られて生きる人が多いのが当たり前になっていて、僕も会社員時代はそうでした。目標を達成したら評価される。評価されたいから、次の目標値を達成するよう頑張る。頑張って達成して、また評価される。評価されたいから、また次の目標値を達成するよう頑張る。この繰り返しなのです。
限界を超えて頑張りすぎると、だんだんと疲弊して、やる気がなくなってきます。それは、絵のように、木も根もやせ細り、枯れてしまいそうになる状態だ。心からやりたい事業をしている創業社長でも、強靭なスーパー会社員のような人の場合でも、重たい病気になったり、あるときは死に至ることもあるかと思います。それは、絵のように、木がバキッと折れてしまうような状態です。

木の土から上の部分は自分の外側の世界、つまりDoing⇄Haveのように成果や結果がある、目に見える世界です。一方、地上からは見えない根の部分がその人の人間的な器、すなわち「あり方(Being)」を表しています。この根の部分がとても大切だと僕は思います。でも、大切だからこそ、普段、目にすることができないのです。

この根を育てるには、今までお話ししましたが【観念や思い込み】を外すことだと僕は思います。それに、前述した僕が自分の存在を許したことのように【許し】は肥やしになります。また、お金、時間、人、環境などを理由にして、自分に制限をかけていることを【許可】することも大切です。小さいことからでいいので、少しずつ自分の欲求を叶えると制限の枠が広がり、自由になり創造力も高まってきます。
最後に【癒し】です。つらいとき、悲しいとき、そして寂しいとき、自分のために泣いてあげる、怒ってあげる。普段の生活では抑えている感情を解放してあげることは、とても効果的だと考えています。断捨離もそうですが、先に捨てる。そしたら自分に必要なものが入ってくるという感じです。
【許し】【許可】【観念や思い込みが外れる】【癒し】が栄養分になり、根が広がった分だけ強く、たくましくなってきます。この根っこが受容性(人の器とか自分を生きる力)なんだと思います。屋久島の杉の木のように、樹齢の長い大木は、土の表面に出ている分だけ根を張っているそうです。
そのためには、自分に栄養となる時間を注ぐことが大切だと思います。
そしたら、結果として大木の下で誰かを休ませられるかもしれないし、たくさんの実がなり、豊かさの循環を生み出し、たくさんの人と感情や思いを分かち合うことができるのではないだろうかと思います。
これが、自分の内側と外側との「調和と統合」の状態で、まさに自分とつながり、無限なる力がみなぎってくるんだと思っています。

 

さて、今まで自分軸の話、僕が捉えている自分軸創りを阻む構造や課題について触れましたが、この絵をみて、何を感じますか?

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最後に僕が考える【みんなが倖せになる経営・プロジェクト】について分かち合いをしたいと思います。

働く環境(僕も含めて)がこういう風になれたらいいし、そういう環境で働きたいと考える世界観です。一つの考え方だと思って聞いてください。

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まず、前提として、ここで言及する【みんな】とは

経営だとしたら、経営者・社員、お客様、株主、ビジネスパートナー、応援者・支援者・ファン、地域、国などです。

プロジェクトだとしたら、メンバー、お客様など関わる人すべて、会社組織、地域などです。

ここで、究極の問いがあります。

それは

・働いている時間をどう使いたいですか?

そして

・自分に与えられている時間をどう使いたいですか?

につながる問いでもあります。

この問いを意識して一つひとつのプロセスをお話しします。

まず初めは

①経営者・社員全員(プロジェクトの場合はプロジェクトメンバー全員)が輝きを放つ高エネルギー生命体となる。そういう状態を目指すことを意図する。

高エネルギー状態とはやたら元気、パワフル、ポジティブというのではなく、その人らしさの高エネルギー状態です。静かな人でも高エネルギーの人はいます。常に高エネルギーというのではなく、行動に起こす時です。

もう少しわかりやすく表現すると、あり方が明確な状態です。

社長やプロジェクトリーダーの実践(①から⑦まで)が起点と資料には書いてありますが、一人の社員やメンバーの実践も最近では起点になるような気がしています。

 

②一人ひとりが目の前の人と関わりながら、【自分軸】を育てる。

でも、簡単ではない。

 

③自分が観念・思い込み・偽ダイヤにガチガチに包囲されているということを理解し、気づく。

では、どうすれば良いか?

 

④思考や環境によってつくりだされた誤解や勘違いを解き、邪魔なものを取り払う。

研修や修行などではなく、日々の目の前の現場で起きていることや日々関わる人を自分はどう見ているか?どう感じるか?どう考えているか?を認知する。(観念や思い込みを捉える)

時間はかかるがチマチマと地道に行います。あらゆるところにフィールドがあります。

そして、少しずつ霧が腫れたかのように邪魔な観念や思い込みがなくなっていきます。

関わる人との相互理解が深まり、信頼関係が生まれてきます。

 

⑤自分が心からよろこぶ唯一無二の本質(ピュアな欲求、情熱、夢中、熱中、好奇心など)や本当に体験したいことがが見つかるようになる。

場合にとっては、関わっている人から教えてもらうこともあります。

④と⑤が最も重要なプロセスです。

こちらの絵は自分軸があるか、ないか。相手との関係性を客観的に捉える一例です。

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⑥自分の心が歓ぶ時間の使い方が一段深くわかり、言語化できるようになる。

この段階で先ほどの問い

・働いている時間をどう使いたいですか?

とリンクするようになります。この答えは本やインターネットなど自分の外側(目に見える)にはありません。自分の中(目に見えない)にあります。

 

⑦それを実践している人は創造性につながり、いきいきと活動する。

その人のあり方につながり、結果として①の状態になります。

 

①の状態になると、結果として、よいものやサービスが生まれ、お客様も喜び、売り上げ・利益も上がり、応援者、支援者、ファンも増えて地域や社会に貢献する。そういう状態を見て、株主も歓ぶ。上場している会社であれば、株価も上がる可能性がある。

という好循環を創造することになります。

 

先ほども話しましたが、一連のプロセスの肝は

 目に見えない部分(自分の心が歓ぶこと)に意識をすること

 そこに創造性の根源がある

 体験と感情が入り口である

 あらゆるところ(日常)にチャンスがある ということです。

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僕のこの考え方は一つであり、正しいかどうかわかりません。

というか、そもそも正しいとか正しくないとかの考えもありません。

いろんな考え方があって、いいかなと思っています。

単純にこういう会社やプロジェクトがあったらいいなと僕が勝手に思っているだけです。

そして、僕は日々、こういう世界をイメージして人と関わっています。

今回お話する機会をいただきまして、最近感じる僕が今の時代に大事だと思っていることについて最後にお話をしたいと思います。

(ここの文章はその時にお話会よって変わります。)

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僕の分かち合いはこれで最後です。

最後まで聞いて頂きまして(読んで頂きまして)、ありがとうございます!

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もう少し、いろいろ知りたいという方は本に僕の体験と考察を詳しく書いてありますので、お読みになっていただけますと嬉しいです。

 

 

これからは皆さんとコミュニュケーションをしていきたいと思います。

感想、質問なんでもOKです。

もしもなければ、

・働いている時間をどう使いたいですか?

という問いでみんなで話をしましょう。

 

というように実際のお話会では、グループやペアになったりして、対話したり、全体の分かち合いをしたり、その時雰囲気でアドリブでその場を皆さんとともに創ります。

 

 

 

万世麺店 新宿西口店 - 2022年2月(東京都新宿区宮)〜この地、いいところ

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大学生のころ、虎ノ門に勤務していた親戚の叔父さんを訪ねた時にご馳走してくれたのが、この店のパーコー麺。

はじめて、パーコー麺という存在を知った。

 

林家パー子か?w


このパーコーは排骨と書き(中国語)で豚肉を油で揚げたものをラーメンにのせているのがパーコー麺だ。


当時のこのパーコーのうまさに衝撃を受けた記憶が蘇り、新宿にあるお店に行ってみた。

 

こちらです。卵はトッピング。

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アップ

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パーコーアップw
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懐かしい味を堪能。パーコー旨し。

しかし、麺が太くて、僕的は残念。

次回はパーコーだけ注文しようかな。

そんなことできるのはわからないが。。。

主婦の店 さいちのおはぎ - 2022年2月(宮城県仙台市太白区秋保町)〜この地、いいところ

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先週は仙台にある秋保(あきう)温泉へ。

そこでお世話になった運転手の常磐井さん(仙台中央タクシー)に教えていただきました。

大人気のおはぎ屋さん。

と言っても、街で愛されているスーパーだ。

個人経営の小さなスーパー。

おはぎを食べてみた。

素朴で甘さも控えめで美味しい!

懐かしさを感じるお味だ。

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秋保を案内頂きました。塩沼亮潤僧侶の慈眼寺が秋保にある。ここにあったのか!と驚き。塩沼僧侶は大峯千日回峰行者だ。
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羽生選手も祈願する秋保神社にも参拝
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子宝和合の神も祀られている
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あった!金精様⇧
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秋保大滝へも。寒かった。。。
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最終日に秋保町にはいろいろな見どころがあるんだなぁと知った。

常磐井さん!ありがとうございました❤️