一昨日、学生さん向けのイベントをお手伝いするにあたり、学生さんの思いと共振したく、自分の大学生時代のときのことを感じてました。
そして、大学時代の就活のときのことを急に思い出しました。30年前のことですがw
当時、有名企業のバッジが欲しかった。(高校生のときは有名大学のバッジが)
いま気付いたのは
・当時の自分のパワーが弱く、自信がなかったこと。(そのときは虚勢してました。。無意識に。)
・親に喜ばせたいこと。
・他人や世間の目をすごく気にしていたこと。
などが理由だったと感じます。
でも、有名企業のバッジをつけたら、今度は出世のバッチを意識しはじめて、、、僕にとってバッジは何もいみがないことを独立してから、しばらくしてから、深くわかりました。もっと、大事なことが仕事でも人生にでもあるんだと。
バッジをもらうのが良い悪いのでなく、もらおうとするときの僕のエネルギーが大切なような気がします。
ちなみに僕の場合、当時は
・将来の不安を穴埋めしたいという欲求
・人からもっとよくみられたいという欲求
がベースにあったと思います。(気持ちよいエネルギーでないな〜。自分の心的には!)
いま、僕にとってのバッジは上智大学、IBM、プロフェッショナル・コネクター、大学教授、アーティストなど固有名詞(なのか?)でなく
・家族や仲間などとつながりを感じている自分
・ワクワクしている自分
・僕の行動がつながっている人に歓びを与えて、それを感じ、歓ぶ自分
・自分を完成しようとチャレンジしている自分(完成することはないが)
だと確信しています。
それって、バッジなの?w
あっ、バッジは「katchaman」だ。「勝屋久」だ。