50年ぶりに会えたもう一人の自分

人から自由そうに見える僕
でも
全く自由でない自分が隠れてた
そんな自分と50年ぶりに繋がれた

昨夜は夫婦で銀座へ、夕食の予約をしました。
そのお店から徒歩数分のところにいた僕は、今から行きますと店員に告げた。
そしてお店に向かう途中、ゆうちゃんが明日食べるパンを買おうかなーと言いだした。
お店には今から行くと言ったのに、一瞬、僕は【イラっ】とした。
そしてその感情はすぐになかったことにした。
無意識に自分の感情を隠し、気を取り直しパン屋さんに付き合う。
買い物を済まし、お店に向かう途中も到着してからもゆうちゃんと僕のエネルギー状態について対話が続いた。
ゆうちゃんは「ちゃんとしなさーい!というエネルギーで窮屈い」という。
そして、「さっき、イラっとしたんだよね。」とゆうちゃんに話した。
なぜ、【イラっ】としたのか、ゆうちゃんに聞かれたので「遅れることがお店に悪いから」と僕は答えた。ゆうちゃんは「それ、本当なの?」と尋ねた。

僕はその【イラっ】をもう少し感じてみました。
そうしたら、幼少の頃を思い出してきた。
どんな子供だったかというと
・好きなことしかやらない子供
・強制されることがやりたくない子供
・落ち着きがなくて、鼻垂れ、シャツがズボンから変に出ていたり、だらしない子供
 (親戚のおばさんや近所のおばさんの噂を母親から聞かされていた)

しかし、小学校に上がると、宿題をやらないといけない。興味ない授業や行事をやらないといけない。勉強ができないといけない。運動ができないといけないムードになり、巻き込まれていってしまった。小学校時代にやりなくない自分、だらしない自分を完全に押し殺してしまった記憶がある。中学生・高校生・大学生・社会人になるにつれ、ちゃんとしなければいけない観念が定着され、自分の副人格が生まれた。その副人格はロボットのようなもので心がない。

心の無いプログラミングされたロボットができてしまった原因は心の深いところの【怖れ】につながる。
やりたくない自分・だらしない自分はダメだと思ってきていた。こんな自分がでちゃったら、社会に、受け入れられない、嫌われちゃうという【怖れ】だ。母親からも「ちゃんとしなさい!」とよく叱られた。これも母親に愛されないという【怖れ】もある。

【怖れ】は自己否定につながる。エネルギーもちっちゃくなる。実は自由ではない。

僕は【イラっ】っとするのはお店に悪いからとかと思っていたが、本当は自分を自分で律しているから【イラっ】っとすることに気づいた。【イラっ】を隠して、大した問題でないからと言い聞かせ、気を取り戻すために笑顔(ウソの)を作るクセもある。そして、この【イラっ】は関係性の強いゆうちゃんだけにでる。ゆうちゃん以外の人には即座に副人格ロボットが作動し【イラっ】は顔出さない。

【イラっ】の叫びは小さい何にもやりたくない子供の自分の声なのです。

長い間、無理やり社会に合わせてやりたくないこともやってきて、その子はもう勘弁してくれ!いい加減にしてくれよ!嫌なことを押し付けてないでよ!とその子は怒っている。でも、力まかせで、その子に言うことを聞かせる感じで生きてきた。

厄介なのは、今回のように日常でゆうちゃんの違和感をに問われたら、大した問題でなし、今、深く感じることもやらなくてもいいかな。生活に支障はないからねと一旦置いておく自分がいる。
さらに突っ込まれると、副人格のロボットくんが動き出し、ああだこうだい最もらしいことを言って、何にもやりたくない子供の自分の感情を感じさせないように抵抗をする。

わがままな人やだらしない人を見ると【イラっ】とすることがある。

それは自分の中のわがままを許さない。だらしない自分を許していないからだ。他者を投影して、自分を見ている。まさに自己否定だ。

もっと、この【イラっ】を感じていきたい。
小さい何にもやりたくない子供の自分ともっとつながりたい。
副人格のロボットくんにも「今まで僕を守ってくれて、ありがとう!」とお礼を言いたい。

小さい何にもやりたくない子供がもっと僕が自由になる鍵を握っている。

もう、今はだらしない自分を許そうと思う。
無理に何かをやらなくてもいいと思う。

僕はもっと自由になると決めた!

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