上位概念で生きることに芽生えた自分革命的な土曜日

僕は少し前まで、人類は進化してきていて、争いやいじめがなく、みんなが認め合うような心豊かな世界に向かっているという微かだが期待がのった考えを持っていた。

しかし、コロナ禍で様々な角度の情報を見たり、聞いたりして「結局のところ人類は同じことを繰り返して、僕が期待している世界には到底辿りつかない」ということに僕なりの視点だが辿り着いてしまった。

そして、今年の初めくらいに、何もやっても意味がない。どうせ、変わらないから。と生まれてはじめて虚無感に包まれた。本当のところ虚無感なのか、絶望感なのかよくはわからないがエネルギーが落ちていった。

とはいえ、目の前の仕事は全力で自分の愛の部分にフォーカスし向き合っていた。楽しいことや新しい出会いもあり、その都度エネルギーも高まっていたが、心の奥底では虚無感が居座っていた。

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しかし、今日ゆうちゃんと話をしていたら、自分としての上位概念が芽生えてきた。


とどのつまり、僕の虚無感は

世界が変わる方向なら、心を中心に生きたい。

世界が変わらないなら、心を中心に生きるのをやめたくなったり、生きる意味を考えずに楽に生きようかなという考えがよぎる。


これでは他人軸だということに気づいた。他人ありきの自分、世界ありきの自分だということだ。何かや誰かをあてにした生き方だ。


結果がでないんなら、やらない。とか、条件付きの愛(相手が愛してくれるなら愛すよ)と同じような感じだ。


そういう時はエゴ的思考にやられる。エネルギーも落ちていく。


対話中、ゆうちゃんが「本当はもっと愛を知りたいんじゃない?もっと大きなつながりを知りたいんじゃない?」と言った。

この言葉がものすごく心に刺さった。

 

僕は

・もっといろんなかたちの愛を知りたい!

・今まで体験したことのないでっかいつながりを味わってみたい!

・自分の愛のかたちを表現してみたい!

・世界や社会、そして人類がどうあろうとも、それをしたい!

と自然と言葉が降りてきた。
そして、体が熱くなってきた。情熱が込み上がってきた。創造性も高まっている感覚だ。


先週、沖永良部島ですごい方と会った。その方は自分のピュアな使命を淡々と生きている。その生き様が僕に刺激的すぎた。超久しぶりに味わう感覚だ。尊敬するし、カッコいい。その人の周りにはステキな人が集まる。もちろん、世のため人のために直結している。

その人もそうだが、世の中のピュアな使命を持った人は明確かつ具体的な使命があるから、すごいことを成し遂げられているんだと僕は思っていた。逆に無いから僕は停滞しているんだと心のどこかで思っていた。この自分の考え方もまさに他人軸だ。明確な何かが無いからできない。外側の何かがないとできないように捉えていたことを気づいてしまった。そのひとたち使命は努力し内面から掴んだ唯一無二の美しいものだ。それを一般名詞の使命に置き換えて、自分の言い訳に使っていたと思うと吐き気がする。

僕は自分軸をつくることが大切だということを広めてきたが、他人軸思考になっていたことにショックと恥ずかしさを感じる。

その人と出会いもそうだが、沖永良部島滞在から今日までの様々な体験も今回の出来事につながっていることを知り、生きている歓びを感じている。


今ここで、僕は世の中がどうなろうとも、仮に10年で地球が無くなろうとしても

・いろんな愛のかたちを体験し続けたい!

・想像を超えたつながりの世界を体験し続けたい!

・自分の愛の部分を創造し続けたい!


これが僕の進化の道だ。


今後、またエゴの思考にやられたりするかもしれないが超えていこうではないか!


一つ高い概念の世界で生きることに芽生え出した自分革命的な土曜日だ。