何かを信じる時代から考えて行動に起こす時代へ

今日は頭が冴えている。昨晩ぐっすりと寝たからかな。久しぶりの冴え方だ。ピカッ⭐️

急に思ったことがあるので備忘録的に書いてみます。

 

単純に影響力のある人、社会的な称号のある人の考えや一見信頼がありそうなメディアや国の情報・考えを鵜呑みにしたり、怖れから自動反応で防衛するためなにかを信じてしまうことはよくあることだと思う。僕もそうしてしまうことがある。

それは享受してきた教育環境も影響しているのかもしれない。先生の言うことを信じる、親の言うことを信じる空気感や周囲の人の考えにあわせなきゃいけない(これが当たり前的な)空気感が実際にあるからだ。あと、他の人に劣ってないかという焦りや怖れで教育や社会のシステムの中で無意識のうちに生かされているからとも感じる。

何かの本流に合わせて生きる時代は終わった。いや、すでにだいぶ前に終わってる。それは誰もが気づきだしているんではないかと思う。

それはそこには幸せがないから。

本当の意味で生きる歓びがないから。

そしたら、これからはどうしたらよいか?

それは僕もわからない。

わからないなりに今思うことは

【考えて行動に起こすこと】だ。

考える。思考する。という点に僕は二つの視点を持つと感じている。

①今までの自分の集めた、体験した情報の分析・分類。世の中にある情報の検索収集。

②閃き、何かにつながる、直感、違和感、感情、無になった状態のときの原動力、根拠のない自信などのグレートスピリット的(よい表現はないのでそうしておく)な点からの非連続的思考。

どっちの視点も大切だ。

僕の体験から、①は現実化するためにとりわけ必要だが①だけだと一見効率的でよいがその中で正解探しをしてしまいがちになる。自分が依存状態(他人の意見がそのまま自分の意見)や怖れの状態にも気づかずに。。。

常に①と②の両方を意識しながら、自分で考える。自分で決める。今はわからないでもいい。

とにかく常に自分が主になる。

そして、勇気をだして行動に起こしてみて、試行錯誤して自分の考えやライフスタイルを磨くことが必要のように思う。

これを書いてるうちに、もしかして、何かを信じる時代ではなく、自分を信じていく時代なのではと思ってきた。

自分を信じる。

難題だが、これこそ人類に突きつけられている課題なのではと、大袈裟だが感じた。

人類はさておき、僕から【自分を信じる】とはという視点にたとうとおもいます❤️

僕が書いたことも鵜呑みにしないでご自身で考えて(思考と心)みてくださいね。

LOVE❤️

 

f:id:katchamans:20230109090835j:image